思ったこと♪オタクの自語、日記など

ポジ・ネガとコミュニケーションの話

 今日は久しぶりに日記というか最近思ったことをダラダラ綴ります。机に向かい写真を撮る気力がないので、ベッドでごろ寝しながら書いています。寝ながら文章を書いて世界に発信できる、文明ってすげー!

 

 「ポジティブ」と「ネガティブ」、「陰」と「陽」、インターネットではしょっちゅう見かける単語ですが、私はと言うと圧倒的「陰」の自覚があります。とにかく臆病者で、小学生の頃は宿題を家に忘れただけで殺されるような気がして、物陰で泣いているような子供でした。普通に考えたら、他にも不真面目な子はいるし、先生も謝れば許してくれるはずなのに、当時の私にはそれが本当に恐ろしい犯罪のように思えていました。

 ネガティブ思考だと、当然普段の生活でも卑屈になりがちです。人との関係で何か変わったことがあると、「恐らく、この人は私を盛大に勘違いしているな」と思い、それが好機だとしても自ら遠ざけるということをこれまでに何度かしています。特に変わったことがなくても、現状に潜むリスク・問題を見つけて、悩み続けるという行動もしがちになります。書いてみると阿呆らしいですが、長年の癖はなかなか脱却できないものです。

 エキスパート・ネガティブ思考人間とも言えそうな私に対し、エキスパート・ポジティブ思考人間と言えそうな人間が私の母親です。何かしんどいことがあるときに母親に打ち明けると、大抵「考えすぎ」「時が経てば良くなる」「毎日感謝して過ごせば大丈夫」「もっと困ってる人も〜」と言われ、そのたびにモヤッとした気持ちになります。(なので最近はそこまで相談をしません。) たしかに、私の思考は極端すぎる気もするのですが、今辛いんだから発散くらいさせてくれ…と思うのです。

 「前向き、積極性、未来」などというと、世の中ではなんとなく正義とされることが多いですが、実際には"根拠のないポジティブ"は"根拠のないネガティブ"と同じくらい愚かである……というのが個人的な意見です。人が何か物事に対応をする時、超・ポジティブな人は「良い部分だけ見る」という現実逃避をして、超・ネガティブな人は「悪い部分だけ見る」という現実逃避をしているのだと思います。ポジティブすぎた場合、考えなしに人を傷つける可能性が高く、ネガティブすぎた場合、自分を傷つける可能性が高い。過程が違うだけで、ポジ・ネガ両方とも現実逃避なので、「ネガティブは良くない」と言われると、ポジティブにも悪いところはある!!と反発したくなります。

もちろん、ポジティブさが人を救うこともあるし、ネガティブさが人を救うこともあるので、結局はどちらも五分五分なのですが……。

 過去を考えることと、未来を考えることにも同じくらいの力があると感じます。過去に執着することは、悪いことのように聞こえても、ある種、誠実なことだと思います。これは前に読んだ本の受け売りですが、「未来は存在しないが、過去は存在する。過去に自らが経験したことは真実である。だから、過去の美しいものだけに頼って生きていく。」という考えもあります。しかしながらこの場合は、未来の美しいもの(可能性)を断ち切るということでもあるので、結局完全に良いとは言えません。要は何事も、ほどほどが一番な気がします。しかし、人や物に囲まれて生きる以上、等身大でいることが難しいのも事実です。人間って何でこんなに難しいんだ!?生きづらい個体が増えているということは、実は発展ではなく退化しているのではとすら思えます。

 

 長くなりましたがもう一つ、コミュニケーションの話をします。ここのところ、猫が2匹以上でいる動画を良く見るのですが、そのたびに動物のコミュニケーションは本物だ…と感じます。動物は喋れない分嗅覚に鋭く、匂いを尻から嗅ぎ取ることで相手がどんな気持ちでいるのか判断します。動物のコミュニケーションでいいな……と思うことは嘘がないことです。表情や声色は抑えることもできるかもしれませんが、匂いや分泌物を抑えることって恐らくできません。だからこそ、一緒にいるときは本当に一緒にいたいんだな〜と思えるし、グルーミングとかを見ても本当に仲が良いのだな、と思えるのです。

 一方、人間は嗅覚を消すことが常識で、言葉によるコミュニケーションが主です。当たり前ですが、言葉を使うと嘘がつけます。人によっては、無意識に、自分に対してすら嘘をつくことができるかもしれません。動物は匂いによって気持ちを察知できる……というのを前提におくと、人間が脇や尻を隠したがるのは「嘘がつけなくて恥ずかしい」の延長なのではという気もします。

 何となくの意見ですが、「コミュニケーションがとるのが上手い」ことと「話すのが上手」ということは決して比例するものではない、と思います。どんなに語彙力があってスラスラ話せる人でも、聞く相手がつまらない興味ないと思っていたら、それはただの営業トークと何ら変わりません。本当のコミュニケーションというものは、相手の雰囲気や息遣い、微妙な表情の変化など"嘘がつけないもの"から心情を察知して、それに上手く働きかけることだと思います。そういう意味では、人間はコミュニケーションが下手な動物第1位な気がしてならないのです。グルーミング(散髪)をするだけでも言葉という壁・お金という壁の二つの壁が発生して、なんだかもの悲しい生き物だな……と、少し悲観的になります。

 と、ここまで書いてギブアップ!!人間の悪口書いたけど、遠くても仲間と関われるとこは人間のすごいところだなと思います(二度目)。まとまらないけどおやすみ〜