思ったこと♪オタクの自語、日記など

絵を描くのが、大好き!!!

 今回は、タイトル通り絵を描くのが大好き!という感情についての記録です。なんでまたブログを書きたくなったのかと言うと……、まとめて文字化することで後から振り返ってもこの感情を思い出したいと思ったからです。

 

 

 本日、とある授業を受けていたら、「本当にその人が楽しい、嬉しいと感じることは、その人自身の悲しみの経験に基づいている」という言葉が聞こえてきました。

 なぜか?というのはその授業の教授によると、

 

過去(嫌な記憶)を「見つめる」

悲しみを「見つめる」

自分を「見つめる」(ありのままの自分を認める)

歓喜の気持ち

生み出すこと、創造

他者とのつながり

 

………こういう流れがあるそうです。

 上の図だけだとナニ?て感じなのですが、要は、「めっちゃ楽し〜〜〜!!!てことが実は悲しみや苦しみと繋がってることがあるんだよ!!!!」、てことが言いたいらしい。そして、私は「絵を描く」ことをこれに当て嵌めると、わ、分かる〜〜〜……、という気持ちになったのです。

 

 

 突然ですが、私は小学生の頃に「転校」した経験があります。それも、親が転勤族でしょっちゅう〜とかいう理由ならまだいいのですが、親の不仲が限界に達し、半ば逃げるような形で母親の地元に移住したという、一度きりの経験でした(家庭の事情については、考え始めると愚痴大会になるので割愛)。一度ならまだマシでは?と思いきや、ちょうど「小学校6年生の春」という、周りからすると「お前そこでいなくなるの?!」という最悪のタイミングでした。

 

 転校するまでの約11年?暮らしていた場所は、活気ある、都会に近い地域で、学校も割と自由な校風でした。ところが転校先は、よく言えばのどかで自然の多い、悪く言えば閉鎖的な田舎の学校でした。低学年は上学年の教室前を通るの禁止!とかいう訳わからんルールが浸透してました。そして、小学校6年生の時点で「コミュニティ」が固まっていない…なんてことが、あるわけもなかった。

 最初はまだ良かったんです。「都会からきたのすごいね〜!」とか「前の学校はどんなだったの?」とか、聞かれることがあるので。とりあえず答える。……答えるんだけど、当時の私はものすごく人見知りで(今もですが)、全然面白い会話ができない。なんで越してきたの?て聞かれて家庭崩壊したからですとか言える訳ない。

 そして、一番の大ショックは、クラスの女子一同が介する前で、ボスの女子に「じゃあ、〇〇さんはどこのグループに入りたい?」と聞かれたとき。もちろん、小学生の女子が群れをなすことは知っていたし、前の学校でも似たような雰囲気はありました。でも、友達ってこう、自然と「なっている」もので、「このグループに入るからこの子と関わっちゃいけない」……とか、考えたことなかった。恐るべき子供のムラ社会。今思うとバカらしいのですが、11歳の未熟な自分はそこで止まってしまい、言い返すこともできず、普通に、自然な流れでぼっちになりました。辛い。

 ちなみに転校する前は、ちょっかいかけてくる男子を追いかけまわしたり、友達とチャンバラしたりポケモンごっこしたり、いじられキャラの先生に絡んだり、授業中にも積極的に発言したり、だいぶ活発だった………。転校後はそういうことがなくなり…というか、学校での人格が、180度変わりました。外の顔を作ったというより、自然体の自分が押し込められる感じ。ただ、転校前にも半年くらいぼっち経験をしたことがあったので、「これくらい耐えられるわ!」みたいにやたら気を張ってたのを覚えています。何より、母だって家計や兄姉の学費を工面するので大変なのだし、耐えなきゃいけないと思っていました(兄姉とは転校のタイミングで離れました)。

 

 しかし、虚勢を張る一方で、本当に本当に苦しい、という気持ちは消えませんでした。(……他の子は当たり前に授業参観にお母さんが来るし、頼れるお父さんがいるし、兄弟と別れなくてすむし、長年の友達だっているのに、なんで私だけがこんな目に合うんだ。学校に行きたくない。死にたい。)そんなことをグルグル考える時もありました。しかし学校で泣き出すわけにもいかず、せめてこの辛い現状から目を背けようと、休み時間はひたすら本を読んだり、絵を描いたりして、「何かしている」感を出しました。ぼっちあるある……(^_^)v

 

 そんな毎日が秋くらいまで続いた後、ある日、私の絵を見て、クラスのA(仮)という子が「何描いてるの?」と話しかけてきました(何を描いてたかは忘れたのですが、変なキャラクターとかギャグ調の絵)。Aはボス女子の属するグループとは反対……というか、あんまり”そういうノリ”を好まない子たちと仲良くしている様でした。あと、私の記憶が合っていれば転校した直後に掃除用具の場所をそれとなく教えてくれた親切な子…、でした。

 絵に反応された私は、恥ずかしさ半分、嬉しさ半分という感じで、どもりながら「このキャラは…こういう〇〇で…」とかそういう返答をしました。それを聞いたAは「面白いね〜!」と、お世辞か本音かはわからないけど褒めてくれて、そこにAの友人たちも興味を持って集ってきました。

 ものすごく緊張したけれど、ジロジロと品定めされるのではなく、「何気なく興味をもたれる」ということが、当時「よそ者」だった私には本当に嬉しく感じました。やっと、素の自分を見てもらえるんだ!!!と思いました。それからも、少しずつ描いた変な絵を見せることで、心の壁を「隙間から顔が覗ける」程度には崩すことができました。

 後々、Aとは親友になり、さらにAと仲の良かったBも同じくヘンテコな絵が好きということで親友になり、中学では3人でオリキャラを作って遊んだりしていました。(Bは初対面で変な人だなあ…くらいの認識だったので、仲良くなれたことに当時は驚きを覚えた。)ただクラスや大勢の前とかではやはり引っ込み思案を脱却できず、今もずるずる。同調圧力とかムラ社会の暗黙のルールとか……ややトラウマです。

 

 しかし、改めて今振り返ってみると………絵に気づいて反応してくれた時点で、Aやその周りの子たちは私のことをかなり気にかけてくれていたし、私自身も「本当はおちゃらけた人間なんだよ!気づいて!」という気持ちが透けて出ていたのでしょう。ハズカシ〜…、でも、それを直接告げることは口下手な私にはかなり難しく、「絵」であったからこそ、ワンクッション置いて示せたのだと思います。

 

 

 転校の経験に限らず、私にとって「絵を描く」ことは、ずっと"素直な自分"と"何か別のもの"を結び付けてくれる、ものすごく、大事な行為となっています。絵を描いたきっかけは「大好きな姉の真似」でしたが、本当に好きになった理由は、ものすごく個人的な、暗くて悲しくて苦しい経験と深く関わっています。現実が嫌でしょうがないからこそ、どんなにバカなことを描いても、突飛な夢を見ても許される絵や漫画の世界の自由さに、人一倍惹かれたのだと思います。これからもずっと絵を描くことで人と繋がれたらいいなと思うし、自己表現ができるといいし、何よりもその楽しさを忘れたくない!と思います。

 

 

 ……それで、最初の話に戻るのですが。「本当にその人が楽しい、嬉しいと感じることは、その人自身の悲しみの経験に基づいている」という言葉。悲しみと関連するなら、良くないのでは?と何もない状態だと思うかもしれません。でも、これは見方の問題で、「本当にその人にとって苦しくて悲しい経験が、その人の生きがいだったり、魅力だったり、熱中できるものを作り出している」ってことなんだと思います(自分用に、わかりやすくまとめると)。

 

 だから、何かすっっっっごいトラウマがあるとか、思い出すのも無理なひどい失敗をしたとか、黒歴史があったとか………、そういう経験があってコンプレックスだったとしても、「この経験をしてた頃、△△が好きになった」とか「あの時辛かったけど、××と出会えた」とか考えると、無駄とか、意味のないことって何もないんだと思います。遠回りとか近道とか、そんなの死ぬまで分かんないし、ましてや誰かに決められていい訳ありません。現実逃避って言うけど、生きてる限り現実でしか……なくね!?

 それと、分かりやすい見た目、学力、性別、職業とか、そういうレッテルで人を見て、その人自身を見ないことって、とても危険だと思うし、レッテル貼られたくねえ〜〜!!!と常日頃思います。もちろん、私も常にこんな前向きで清い思考をできる優れた人間ではなく、むしろすぐ偏見を覚えてしまったり、人の意見に流されてドツボにハマりがちな人間なので、これは自戒です。ただ、過去は変えられないし未来も分かんないけど、本当に大事なのは今の自分だと認めること、そして絵が大好きな気持ちを、これからも忘れたくないなあと、ひたすらに思います。

 

やたら長くなった!!!終わり。